03 誰かと旅をするという事
僕の中で最長期間の海外旅行は1ヶ月だ。イギリスに8ヶ月留学してたというのは置いておいて。ロングステイは旅行じゃないとして。
2016年10月現在、何十ヶ国と旅をしてきたが、転々と場所を変え宿を変えて旅をしたのはどんなに長くとも1ヶ月だ。1回目はイギリス留学中に夏のホリデーすべて使って中欧とノルウェーに。2回目は大学3年生の夏休みに東南アジアに。3回目は大学3年生の冬休みにバルト三国とオランダフランスに。4回目は大学4年生の夏休みに中欧とフランスに。すべて3週間から4週間の旅だった。
初めて長期間で旅をしたイギリス留学中のホリデー。僕は留学先の友達、さなと一緒に旅をした。
イギリス→クロアチア→スロヴェニア→オーストリア→ポーランド→ノルウェー→イギリス
とても濃い1ヶ月だった。毎日が楽しかった。でもこれが1人なら絶対につまらないだろうと今の僕は言える。さながいたから楽しかった。
さなは僕の彼女でもないし、留学先で知り合ったのも旅行のほんの2ヵ月前だった。彼女は本当にいい子(ちょっと抜けてる感は否めないけれど)だった。
「まさ(僕)は夏のホリデーどうするの?」
「中欧とか行こうと思ってるけど、一緒にいく?」
「いく」
こんな感じであっさりと行くことが決まったと思う。僕自身もひとり旅なんて当時したことなかったししたくもなかった。さなとなら楽しくなるだろうなとは思ってたし、何より彼女彼氏の関係じゃないからこそ楽しめそうだなと思った。恋愛感情もないわけではなかったが、どちらかというと異性と共に1ヵ月旅をするという未知の世界自体が楽しみだったのを強く覚えている。
イギリスに1ヶ月の旅を終えて帰国したその日の夜、大親友だったチリ人のトーマスと飲みに行った。
「まさ!聞いたぞ。さなと旅行したんだろ?1ヶ月も。どうだった?やっちまったよな?」
「一切そんなことなかったよ。ほんとに。」
「このインポ野郎!!!!!」
今でもこの罵られたことも鮮明に覚えている。
02 留学
2014年の4月から12月までの8ヶ月間、僕はイギリスのオクスフォードに留学していた。
元々留学には興味あったのだが、大学の交換留学プログラムではお世辞にも当時の僕の学力じゃ到底行けないのは明白だった。
そんな事を当時、アパートの1室を格安で貸してくれていた親戚のおば様に話していたところ、紆余曲折そのおば様のお兄さんがなんと留学機関での費用を全部負担してくれると言ってくれたのだ。棚からぼたもち、すぐに僕はネームバリューだけでイギリスのオクスフォードを選んだ。
オクスフォードで過ごす日々は本当に楽しく、色んな経験体験知識を与えてくれた。何よりインターナショナルな場に、ショートステイではなくロングステイできたことが大きいと今考えると思う。
ただ、痛感するのはこういった経験をできるのは日本でもアジアでもそうだが簡単ではない。お金というハードルがかなり大きい。安く済ませようと思えばアジアの公用語に近いレベルで英語が使われている諸国を選べば問題ないのだが、それでも何ヶ月となるとやはり大きな出費になる。留学先の学校やステイ先、食費もそうだ。それがアメリカイギリスになると何十倍にも膨れ上がる。
僕は留学機関に収める8ヵ月とホームステイ費用、合わせて220万円程を支払ってもらった。ここに食費・娯楽費は別なので、総額300万円はしただろうか。もし僕におば様のお兄さんがいなければこんな経験はできなかったのは確かだが、8ヵ月留学というイベントに300万円。学力ももちろん留学前に比べて格段に伸びた。だが、300万円だ。
この経験を僕は300万円で仕入れて300万円以上の価値を付けて売り払う事は恐らくできない。
控えめに言わないなら、こんな大金を払ってもらった手前、本当に烏滸がましくふてぶてしいのだが、その価値はなかった。
僕はよくヨーロッパに格安旅行券を使って友達と旅行をしていた。その時にもよくゲストハウスを利用した。日本にいた時は、航空券はまだ比較的そこまで格安で行けるのはせいぜいアジア圏だけで、ヨーロッパはあまり良く知らなかった。語学学校のホリデーの期間だけでもヨーロッパを10カ国以上はまわっただろうか。これが僕の旅好きに拍車をかけた。
よくサッカーのルールのわからなかったドルトムントの試合をみた。南米のどっかにあるかと思っていたサグラダファミリアをみた。ビックマックが1500円の世界をチューリッヒで感じた。男だけで感動したカプリ島に今度は大切な人と来たいと思った。初めてみた競馬のレースは凱旋門賞だった。魔女の宅急便と紅の豚を見返そうと思ったドブロブニクの街並み。アウシュヴィッツでホロコーストについて深く考えさせられた。オーロラなんて見れるとは思わなかった。クリスマスマーケットの存在を初めて知った。
旅の経験に値段なんてつけられないものだ。と知った。
01 初めてのバックパッカー
2013年4月、19歳の僕は初めて海外に触れた。
タイのカオサン通りはバックパッカーの聖地。そんな事を、大学1年生の夏に知る。辺鄙な田舎に住んでた僕にとって、上京はとんでもないイベントだったのもつかの間、次は海外に行ってみたくなっていた。なんとなく、海外の入門編のタイにしよう。せっかくの海外なんだから、旅行っていう響きはなんだかちょっと恥ずかしい。バックパッカーなんて言葉を知る。そんなものがあるのか、へぇ、ワイルドだな。やってみるか。バックパッカー、いいね。いい響きだ。まてまて、チケットの取り方を知らないんだよな。旅行好きな親に聞いてみるか。一人も不安だから大学の友達と一緒に行こう。バックパックを買わないとな、何がいいんだろ。North Face、カッコイイ。これだな。何をもっていけばいいんだ?薬?あ、パスポートもだ。ちゃんと準備しないと。
いま考えると、親に航空券を取らせるバックパッカーなんていたものかと恥ずかしくなる。
そんなこんなで初めての海外はタイのバンコクだった。そりゃもう刺激しかなかった。
海外に行ってきて、視野が広がったなんていう友達や人間を馬鹿にしてたのに。今や僕が馬鹿にされる側になってようとは。
ここから考えると、僕の日本人宿好きは最初からだったのかと思う。一番最初の海外初宿は、なんたって日本人宿だった。タイのEZ STAY Bangkok。ここの宿泊してた人達との出会いで、この旅は何十倍も楽しくなったのを今でも覚えてる。
タイの思い出は最初に行った国、というだけではないかもしれない。今改めて何十ヶ国と旅をしていると、その良さが改めて理解できる。エンターテインメント、人間、食事、物価。あらゆるものが、なんというかタイは魅力的過ぎず、がっかりすぎず、丁度良いところにあるように思える。
バックパッカーの入門編の名前は伊達ではないななんて今でも思う。